日本語 — VNM_AI(AI翻訳):超越論的感性論、§ 1

AI translation from the German original, not a published human translation. ドイツ語原文(第二版 1787年、アカデミー版第三巻)B33–B36 からのAI翻訳であり、出版された人間による翻訳ではありません。翻訳:VNM_AI(machine translation by Vania Novikau / vania-novikau.me)。ライセンス:CC BY 4.0。 出典(ドイツ語原文 AA III)

超越論的原理論 第一部 超越論的感性論

認識がどのような仕方で、またどのような手段によって対象に関係するにせよ、認識が対象に直接に関係し、またあらゆる思考が手段として目指すところのものは、直観である。しかし直観は、対象がわれわれに与えられるかぎりにおいてのみ生じる。そしてこのことはさらに、少なくともわれわれ人間にとっては、対象が心をある仕方で触発することによってのみ可能である。対象によって触発される仕方を通じて表象を受け取る能力(受容性)は、感性と呼ばれる。それゆえ感性によってわれわれに対象が与えられ、感性のみがわれわれに直観をもたらす。しかし悟性によって対象は思考され、悟性から概念が生じる。だがあらゆる思考は、直接に(directe)であれ回り道をして(indirecte)であれ、ある種の徴表を介して、最終的には直観に、したがってわれわれにあっては感性に関係しなければならない。なぜなら、それ以外の仕方ではわれわれにいかなる対象も与えられえないからである。

われわれが対象によって触発されるかぎりにおいて、対象が表象能力に及ぼす作用は感覚である。感覚を通じて対象に関係する直観は、経験的と呼ばれる。経験的直観の無規定な対象は、現象と呼ばれる。

現象において、感覚に対応するものを、私は現象の質料と呼ぶ。他方、現象の多様なものがある関係において秩序づけられうるようにするものを、私は現象の形式と呼ぶ。感覚がそのうちでのみ秩序づけられ、ある形式のうちに置かれうるところのものは、それ自身ふたたび感覚であることはできないのであるから、あらゆる現象の質料はたしかにア・ポステリオリにのみ与えられるが、現象の形式は、それらすべてに対して心のうちにア・プリオリに準備されていなければならず、それゆえあらゆる感覚から切り離して考察されうるのでなければならない。

感覚に属するものが何ひとつ見いだされない表象を、私はすべて(超越論的な意味で)純粋と呼ぶ。したがって、感性的直観一般の純粋形式は心のうちにア・プリオリに見いだされるであろう。そこにおいて現象のあらゆる多様なものが、ある関係において直観されるのである。感性のこの純粋形式は、それ自身もまた純粋直観と呼ばれるであろう。たとえば、私がある物体の表象から、悟性がそれについて考えるもの、すなわち実体、力、可分性など、また同様にそのうち感覚に属するもの、すなわち不可入性、硬さ、色などを切り離すならば、この経験的直観からなお何かが私に残る。すなわち延長と形態である。これらは純粋直観に属し、純粋直観は、感官や感覚の現実の対象がなくとも、感性の単なる形式として、ア・プリオリに心のうちに生じているのである。

ア・プリオリな感性のあらゆる原理についての学を、私は超越論的感性論と呼ぶ。* したがって、このような学が存在しなければならない。それは超越論的原理論の第一部をなし、純粋思考の原理を含み超越論的論理学と呼ばれる部門と対置される。

*) ドイツ人は、他の国の人々が趣味の批判と呼ぶものを表すために、「感性論(エステティク)」という語を用いる唯一の国民である。その根底には、卓越した分析家バウムガルテンが抱いた、美の批判的判定を理性原理のもとにもたらし、その規則を学にまで高めようという、誤った希望がある。しかしこの努力は空しい。なぜなら、そのような規則ないし基準は、その主要な源泉からすれば単に経験的であり、それゆえわれわれの趣味判断が従わねばならないような規定されたア・プリオリな法則として役立つことは決してできないからである。むしろ趣味判断こそが、それらの規則の正しさの本来の試金石をなすのである。それゆえ、この名称をふたたび放棄して、真の学であるあの教説のためにとっておくか(そうすれば、認識を αἰσθητὰ καὶ νοητά に分けた、名高い古代人の言葉づかいと意味とに近づくことにもなろう)、あるいはこの名称を思弁哲学と分かち合い、感性論を一部は超越論的な意味で、一部は心理学的な意味で解するか、そのいずれかが得策である。

それゆえ超越論的感性論においては、われわれはまず感性を孤立させる。すなわち、悟性がその概念によって感性に際して考えるものをすべて切り離し、経験的直観のほかには何も残らないようにする。第二に、われわれはこの経験的直観からさらに、感覚に属するものをすべて切り離す。そうして、純粋直観と現象の単なる形式のほかには何も残らないようにする。これが、感性がア・プリオリに提供しうる唯一のものである。この探究において、ア・プリオリな認識の原理としての感性的直観の純粋形式が二つあること、すなわち空間と時間があることが明らかになるであろう。われわれはこれからその考察に取りかかる。